2004年 08月 24日
誰かを信じる |
<信じてもらえているんだ、という確信が、今まで生きてきて
母親を始めとして他の人、友人、そして恋人、伴侶、全ての相手から感じ得たことが、ない。
信じてもらっているという確信とは、どういうものだなのだろう。
私は全てにおいて完全、100%というものを信じていない。人の心もそうだ。
その時の状態で人の心は動く。昨日は90%好きな人でも今日は30%しか好きじゃない人になる。
ふと、私が100%信じてもらっている、信じている存在は誰だろう?と思う。
母親?ダンナ?友達?子ども?
100%に近いものは、あってもそれは確信ではない。
どこかに人は間違いとか裏切りがあるものだと思っている。
ただ、何かがあっても、
「そういうことがあっても私はあなたが好きなことには変わりない」と言う気持ちを相手に持っているし、持たれているという信頼感はある。
それがバニラさんの言う<信じてもらえているんだ、という確信が、今まで生きてきて
母親を始めとして他の人、友人、そして恋人、伴侶、全ての相手から感じ得たことが、ない。
に書かれている信じてもらえている言葉の意味に繋がっているように私は感じた。
親に甘える。
甘えて「よしよし」って受けとめてもえるか、どうかで
子どもの心の安定度が変わる。それは成人しても大きな意味を持つ。
「親は子どものゴミ箱でいいんです、なんでも拾ってやってください」と誰かが書いていた。
いいところも悪いところもひっくるめて相手を認めて受け入れることから信頼が生まれる。
また、誰かに受け入れられることで人は自分を信じることが出来る。
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by sakko-6
| 2004-08-24 23:04
| ココロ